1983年オーストリア帝国最後の皇后ツィタの告白

皇后ツィタの告白によってわかったこととは・・。

ルドルフ皇太子とマリー・ヴェッツェラの情死と言われ謎の死と取りざたされた『マイヤーリング』事件ですが、1889年1月30日に発生した事件から94年後の1983年3月11日のウィーンのタブロイド誌である女性の告白が紙面に載りました。その事件の真相を語ったのは、最後の皇帝カール1世の妻であり最後の皇后ツィタです。皇后ツィタはポルトガル領マデイラ島で亡命生活を送っていました。1度だけ親族の墓参りということでオーストリアのチロルを訪れていますが、63年の亡命生活に終止符をうち、ウィーンへ戻っての告白です。

最後の皇后が語る事件の真相

ルドルフ皇太子とマリー・ヴェッツェラの死・・その真相を告白したオーストリア最後の皇帝カール1世の妻ツィタは、いったいなにを語ったのでしょうが?!彼女が語ったのは、カール1世がルドルフ皇太子の父フランツ・ヨーゼフ1世から【暗殺】だったという証拠を挙げられていてカール1世に事件の真相を解明するようにと命じられていたそうです。

ところがご存知の通り、フランツ・ヨーゼフ1世の甥フランス・フェルディナント大公が殺害されるサラエボ事件が起こりそのままオーストリア=ハンガリー帝国は、第一次世界大戦へと突入しました。そのため事件の真相を解明することがうややになってしまった。ということです。最後の皇后ツィタの告白はどのような内容だったのでしょうか。もちろん皇后ツィタの告白はありましたが、この事件の真相は未だに謎のままです。

告白した内容

① ルドルフ皇太子とマリー・ヴェッツェラが死亡するという事件が発生した直後に、緘口令が敷かれた理由には暗殺ということが分かっていたもの、この事件には政府の要人が関与していることもあって、政治的混乱を招くそして政治的波及を懸念したことから緘口令が敷かれた。

② ルドルフ皇太子の葬儀には、当然ながらカトリック教徒なのでローマ教皇に葬儀許可を願います。カトリック教会法で自殺は許されないことで、自殺をした場合には葬儀を執り行うことは許可されていないため、ローマ教皇からの返事はルドルフ皇太子の葬儀は拒否という返事でした。フランツ・ヨーゼフ1世が、再びローマ教皇に電報を打ちます。その電報は2千語にも及ぶ暗号でローマ教皇へ葬儀の許可得るための内容でした。すると2回目の電報を打ってからローマ教皇からすぐに葬儀許可するとの返電がきました。2回目の電報では、ルドルフ皇太子が自殺ではないという内容が説明されたことから、ローマ教皇が葬儀を許可した。

③ 事件が起きたルドルフ皇太子の別荘「マイヤーリンク」の近くに住む家具職人の目撃情報があり、事件が発生した2日後つまり2月1日に別荘の室内の片付けを命じられました。家具職人が目にしたものは、執事が聞いた銃声2発ではなくさらに多いものだった。室内はかなり荒れた状態で、家具はひっくり返り激しい争いの後の状態で、室内の壁には弾痕に血痕の痕が著しくあった。

④ 遺骸となったルドルフ皇太子を見た皇室関係者のひとりがした証言で「ルドルフ皇太子は黒い手袋をしていた。軍服の場合白い手袋のはずで、そのうえ黒い手袋のなかには綿が詰められていたことから、ルドルフの手が利かなくなっていた。」さらに他の皇室関係者が話をしたことで「事件の現場にかけつけた当局者の話」としたうえで「皇太子の右手は、手首からサーベルで切断されていた」という話。

永遠の妖精 オードリー♪