ルドルフ皇太子とステファニー皇太子妃

遊び人ルドルフ皇太子と、かわいそうなステファニー皇太子妃

ルドルフは王侯貴族の子どもです。王侯貴族の子どもとして生まれれば、当然ながら保守的な教育を受けますが、エリザベートが選んだ教師が自由主義者だったこともあって、ルドルフは父親のフランツ・ヨーゼフ1世の保守的で時代遅れな思想や絶対君主をとても非難して、保守的な教育の正反対の自由主義の信奉者となりました。そしてもちろんルドルフが大人になっても、自由主義者のままで、保守的な考えになることはありませんでした。

母親エリザベートも自由主義的な発想をしていますが、エリザベートは自由そのままに大嫌いな宮廷での生活を嫌がり、皇后という立場でありながらも公務を放棄して旅行三昧の日々を送っていたので、ルドルフは母エリザベートとゆっくり会話することもなく、エリザベートが息子ルドルフの良い理解者になることもありませんでした。

皇太子が情死?!

ルドルフ皇太子は自由主義に信奉していたので、貴族に対してとても批判的な立場でした。だからこそ、映画の中と同じように庶民の娯楽場所に足を運んで、ウィーン民衆歌を口笛で鳴らしいわばウサ晴らし的な生活を送っていました。文才にも秀でていたので、政治批判や貴族を批判するパンフレットを匿名で書いたりもしていました。その他にも鳥類学に関する論文そしてエッセイのほか、オーストリア=ハンガリー帝国の文化や歴史をまとめた事典などの編纂を手がけたりもしています。

政治的にオーストリア=ハンガリー帝国では1880年代から保守派が再台頭したことと、映画の中にも登場したエドゥアルト・ターフェが首相として登場してから、自由主義者のルドルフとターフェ首相は対立することになっただけではなく、ルドルフ自身の政治的な立場も不安定なものになっていきました。

ルドルフの結婚

ルドルフは映画の中でもかなり派手に女性と遊びまわしていますが、実際の皇太子ルドルフも映画と同様にかなり遊びまくっていました。それでもどんなに遊びまわっても、王位継承者としてのルドルフはかわりません。フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート皇后の間に誕生している男子は、ルドルフだけです。帝位継承者の大事な役目は、後継となる子どもをもうけることです。そのため遊びまわしている息子に、両親は結婚するようにといいます。

もちろんそれなりの名家の女性ではないと、ルドルフ皇太子の妃になるにはだめです。そこでルドルフ皇太子と身分的にも同じく、そしてカトリック信徒の王女ということでベルギー王室の第2王女のステファニーが結婚相手として選ばれました。

そして1881年5月10日に、皇太子ルドルフとステファニーは結婚しますが1883年9月2日に娘が誕生していますが、すっかり夫婦の関係は冷え切っていました。なんでもエリザベートが義理の妹にあたるシャルロットが大嫌いで、シャルロットはベルギー王室出身でステファニーはシャルロットの姪になるのでエリザベートのシャルロット嫌いの矛先が、ステファニーに向けられたことになります。

ステファニーはとてもかわいそうな事に、夫のルドルフは女遊び三昧。夫婦仲は悪いうえに、宮廷では姑エリザベートからも嫌悪のまなざしです。エリザベートがステファニーを毛嫌いするので、ルドルフの妹マリー・ヴァレリーまでもが、ステファニーを嫌いました。こんなに徹底的に侮辱されたり嫌悪感丸出しにされるといったことが続き、ステファニーはオーストリア皇室の中で孤立してしまいました。おまけに結婚して5年、女遊びからルドルフは性病をもらってしまい、ルドルフは性病をステファニーに移してしまったため、子どもが産めない身体になってしまいました。