オーストリア皇太子として生まれて・・・

オーストリア皇太子ルドルフは実在の人物です!

メル・ファーラーが演じた皇太子ルドルフは実在の人物です。そしてオードリー・ヘップバーンが演じたマリー・ヴェッツェラも実在の人物で、本当にふたりは一緒に遺体となった状態で『マイヤーリング』にある皇太子ルドルフの別荘の執事がふたりの遺体を発見しました。

皇太子ルドルフとマリーの「情死」については、いろいろな説があります。そして皇太子ルドルフが道連れにしたかったのは別の女性という説や、暗殺ではないか?!といった説も取りざたされました。

ではオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子として誕生したルドルフはどのような人物だったのでしょうか?!

オーストリア皇太子ルドルフ

映画『マイヤーリング』にルドルフの父親と母親も登場していますが、すべて実在した人物です。ルドルフの父はフランツ・ヨーゼフ1世、そして母親は宝塚歌劇団の舞台でも演じられている皇后のエリザベートです。ハプスブルグ=ロートリンゲン家というものすごい家に1858年8月21日に誕生したルドルフは、フランス・ヨーゼフ1世の世継ぎとして周囲に期待されて成長していきます。

ルドルフが誕生した背景

母親のエリザベートはバイエルン王国のヴィッテルスバッハ家の次女です。このヴィッテルスバッハ家はもちろん名門中の名門です。過去に神聖ローマ帝国に2名の皇帝を輩出していることからも、名家というのが伺えますが名家ではあるものの、この家系は芸術家気質がとても高い家でも知られています。そしてルドルフの母エリザベートも変わり者と名高い父親に、自然の中で伸び伸びとした生活で育っているのでかなりの馬の乗り手でもあるほどです。

そして父と同じく、自由奔放で活発という気性でかなりの美貌の持ち主でした。そんな自由奔放なところに惹かれたフランツ・ヨーゼフ1世は、結婚相手としてお見合いの場にいたエリザベートの姉ヘレネではなく、エリザベートを結婚相手に・・と見初めました。

自由人で自然の中で育ったエリザベートが、フランツ・ヨーゼフ1世の元へ嫁ぐということは堅苦しい宮廷生活を過ごさなくてはいけないことになります。そしてフランス・ヨーゼフ1世の母ゾフィはかなり厳しい姑で、かなり口うるさくエリザベートに宮廷作法に口を出していました。もちろんそんな姑にエリザベートは神経をすり減らしていきます。

ルドルフが誕生すると、宮廷の作法に従ってエリザベートから離されて乳母そして養育係にルドルフは預けられました。そしてルドルフの前に誕生していたのは2名とも女の子ということもあって、お世継ぎになる男の子の誕生に姑ゾフィーは大いに喜び、立派な宮廷人そして軍人に育て上げようと目を光らせてルドルフの養育にはかなり干渉しました。そのためエリザベートとゾフィとの間でかなり激しい口論になるほどでした。

自由人の母親エリザベートは、不眠症になり食欲不振と体調を大きく崩してしまい療養するために宮廷から離れて療養に出たほどです。もちろんルドルフは母親に同行することなど許されることもなく、宮廷でとても厳しく養育されることになりました。

スパルタ教育

母親のエリザベートは温暖な気候のところへ療養に行っている間、宮廷で目を光らせていたのはとても厳格なゾフィーです。ルドルフからするとおばあちゃんになります。そして祖母ゾフィーはハプスブルク=ロートリンゲン家の方針に従ってルドルフを養育するように、養育係に命じます。そしてゾフィーがルドルフにつけた養育係のレオポルド・ゴンドレクール伯爵はルドルフにかなりのスパルタで養育しました。

これは虐待では?!と思うほど厳しいもので、鞭打ちに冷水シャワー。そして過酷な運動と、まるで軍事訓練?状態のかなり厳しいスパルタ式の教育をルドルフに行いました。精神的にもかなりの負担になることはもちろんですが、肉体的にもかなり厳しいとても過酷な教育でした。そして、ルドルフはどうなったのかというと、暴力的になりそして神経過敏で虚弱体質。そして恐怖心のとても子どもになりました。そしてとても内気になり意固地なので、なにかあれば自分の殻に閉じこもるという少年になりました。

療養から帰ってきた母親のエリザベートは、ルドルフの教育係があまりにも厳しいことにルドルフを不憫に思って、何とか温厚な教育係に替えさせたことがあります。これがルドルフが7歳ぐらいの時のことで、これからルドルフの教育方針は一転することになりました。

ルドルフは繊細な神経で気弱な性格なので、スパルタ教育は逆効果になります。母親のエリザベートがスパルタ教育の養育係から温厚な養育係に替えてくれたことで、ルドルフは武道ではなく知的で文才に秀でた少年へと育ちます。鳥類学ではすばらしい論文を仕上げて、名誉博士号を取得しているほどです。

エリザベートがつけた教育係はというと、自由主義思想の政治家や教育関係者と親交の深いヨーゼフ・ラトゥール・フォン・トゥルンベルクで、この教育係が選抜してルドルフの教師を選んでいきました。選ばれた教師は、何らかの形で自由主義の関連を思想を持っていたので、もちろんルドルフも影響を受けます。ルドルフが成人になっても、自分が貴族出身でありながらも貴族に対して批判的で自由主義をなによりも信奉していました。